2011年10月22日

オススメ度別 視聴済全テレビアニメ一覧

僕が今まで見てきたテレビアニメ(基本的に30分程度の枠で10回以上に渡って放送されるもの、劇場版・ネット配信限定のものなどは除く。また、僕が全話見た作品に限る)のリストです。

どれが個人的オススメなのかをわかりやすくするため、オススメ度を10点満点でつけてみました。
新番・終番レビューの点数もだいたいこれぐらいの基準でつけています。

点数はあくまで僕の主観であります。が、ある程度は世間の評価にも一致する部分もあるのではないかと思っています。ちなみに、経験的に僕の評価はだいたい“アニメ評価データベース さち” http://www.animesachi.com/ と似通ることが多いので、なんとなく親近感を覚えています。

かなり低めの点数もつけていますが、本当につまらない作品は途中で切っています(そういう作品がたぶん100作品以上ある)ので、このリストには載りません。
そういうわけで、このリストに載っている作品は、少なくとも僕が全話見れるぐらいには面白いアニメです。




【0点】

(今のところ該当作品なし)


【1点】

恋姫†無双
ゼロの使い魔 三美姫の輪舞


【2点】

フラクタル
今日からマ王!
今日からマ王! 第2シリーズ
薄桜鬼 碧血録
プリンセス・プリンセス
黒執事
祝福のカンパネラ
NO.6
機動戦士ガンダム00 2nd Season
あの夏で待ってる


【3点】

ロウきゅーぶ!
ストライクウィッチーズ
ストライクウィッチーズ2
灼眼のシャナ
生徒会の一存
夢喰いメリー
迷い猫オーバーラン!
マリア様がみてる
ひだまりスケッチ×365
ぼくらの
とある魔術の禁書目録
Serial experiments lain
ハヤテのごとく!
ハヤテのごとく!!
IS<インフィニット・ストラトス>


【4点】

薄桜鬼
BTOOOM!
とある魔術の禁書目録U
ローゼンメイデン
ローゼンメイデン トロイメント
機動戦士ガンダム00
WORKING!!
ヨスガノソラ
バカとテストと召喚獣
苺ましまろ
ゼロの使い魔
魔法少女リリカルなのはStrikers
ゆるゆり
ヴァンパイア騎士
ヴァンパイア騎士Guilty

ブラック★ロックシューター


【5点】

STAR DRIVER 輝きのタクト
狼と香辛料U
探偵オペラ ミルキィホームズ
Fate/stay night
ARIA The ANIMATION
夏目友人帳
TIGER & BUNNY
Angel Beats!
らき☆すた
涼宮ハルヒの憂鬱
けいおん!
けいおん!!
魔法少女リリカルなのはA's
俺の妹がこんなに可愛いわけがない
ゼロの使い魔 双月の騎士
AKB0048
ハイスクールD×D
戦姫絶唱シンフォギア

【6点】

ギルティクラウン
School Days
青い花
隠の王
ARIA The NATURAL
とある科学の超電磁砲
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。
化物語
BAMBOO BLADE
最終兵器彼女
KANON
AIR
Fate/Zero
うさぎドロップ
桜蘭高校ホスト部


【7点】

未来日記
Steins;Gate
花咲くいろは
ef - a tale of memories.
ef - a tale of melodies.
true tears
ヒカルの碁
魔法少女リリカルなのは
CLANNAD
喰霊 -零-
マクロスF


【8点】

神無月の巫女
放浪息子
ひぐらしのなく頃に
ひぐらしのなく頃に解
とらドラ!
うたわれるもの


【9点】

ちはやふる
コードギアス 反逆のルルーシュ
コードギアス 反逆のルルーシュR2
CLANNAD 〜AFTER STORY〜
ARIA The ORIGINATION
少女革命ウテナ


【10点】

新世紀エヴァンゲリオン
魔法少女まどか☆マギカ







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2011年秋期新番レビュー

【ちはやふる】 8点
 名作『ヒカルの碁』を彷彿とさせる清々しい作品。なんで深夜に放送してるの? なんでゴールデンタイムのクソバラエティ番組潰してこれ放送しないの? 物凄く勿体ない。今のところ(第三話時点)まででは、個人的に今期ナンバーワン。


【Fate/Zero】 8点
 空の境界“俯瞰風景”、喰霊-零-、放浪息子、そしてFate/Zeroと、あおきえい監督は間違いなく天才です。今期の本命作品ですね。ロリイリヤが見れて満足。いや、もともとロリだけど。


【ギルティクラウン】 8点
 優れた作品はその後の作品に多大な影響を与えます。ゼロ年代の覇者、コードギアスの残像はまだまだこれからも様々な作品の中に現れてくるかもしれないと強く感じました。いろいろ言いたいこともありますが、2話時点で言っても的外れになりそうなのでまだ書きません。とりあえずOPが神がかっている。いのりちゃんの服掴んで左右に広げてみたい。


【未来日記】 7点
 由乃の顔芸に興奮する。楽しいバトルロワイアル。


【ラストエグザイル 〜銀翼のファム〜】 7点
 第一話の出だし、ちょっとドキッとする演出で視聴者を驚かせながら、世界観や主人公の性格、仲間との関係性を見事に伝えている、あれは素晴らしいシーンだと思いました。本気を感じる空戦シーンも良い。期待です。


【たまゆら〜hitotose〜】 5点
 評価したいのは第一話。郊外化によってどこも同じような景色になり、カーナビがあって、ストリートヴューで家に居ながらどこでも見れる、そういう、土地のロマンが失われてしまった時代にあって、いかに竹原という町のロマンを表現するかという問題。『たまゆら』第一話の方法はほぼ完璧であるように感じました。終番レビューでまたちゃんと書きたいと思います。
 評価できないのは第二話・第三話。簡潔に言って、つまらない。なぜつまらないのか。『たまゆら』は「ARIAスタッフ再集結」で作っていることを強調して宣伝していましたし、作品の方向性からいっても、『ARIA』と比較して考えてみるのがいいでしょう。そうすると、『ARIA』に較べて、@主要キャラの個性が弱い、Aマスコットキャラクター:アリア社長の不在、B話の軸である“お仕事”がない、といった感じで、こりゃぁ退屈になってしまって当然かなぁとも思うのです。企画段階でもう少し詰め込むものがあってもよかったのでは。


【WORKING‘!!】 4点
 今期も点数の基準、WORKING!。特別に面白いわけではないが、面白くないわけでもない。「ちっちゃくないよ!」はおっぱいの話。


【ペルソナ4】 4点
 第一話は悪くない出だしだと思った。でも多分視聴継続はしない。


【機動戦士ガンダムAGE】 3点
 つまらない…… 特にこの、盛り上がらないOPはなに??


【ベン・トー】 3点
 特に悪くはないんだけど、スーパーの弁当争奪戦を毎週30分もかけて見る気はしないかな……


【境界線上のホライゾン】 3点
 ごった煮世界観に脳がやられそう。


【僕は友達が少ない】 3点
 2006年、『涼宮ハルヒの憂鬱』が、「友達?べ、別にそんなもの欲しくねーしww 私は宇宙人や未来人や超能力者にだけ興味があるの。でも、超常現象探すためにSOS団作ったら毎日がけっこう楽しかったりして、リア充ってのも悪くないかもねーwww」とかいう屈折した態度、巧妙なリア充願望の隠蔽で大成功を収めてから5年が経った。『僕は友達が少ない』第一話、「私も友達が欲しいのよーーーーー!!」 オタク文化、早くも開き直り。


【ましろ色シンフォニー】 2点
 このアニメはぱんにゃってヒロイン推しとけばいいんだよね??


【UN-GO】 2点
 これ、推理物なの?? よくわからない。


【ファイ・ブレイン 神のパズル】 2点
 巨大迷路ってやったことあるんですけど、なかなか面白いですよ。タイムアタックしてみたい。


【真剣で私に恋しなさい!!】 2点
 戦争ごっこかぁ、どうでもいいなぁ、って思っちゃったから続き見る気にならない。


【C3】 1点
 最初から全裸で登場するヒロインは、裸のありがたみが薄れるのですよね。基本あんま面白くないアニメなのに、Aパートで全裸になっちゃったら、Bパートで脱がないなんてのは不満が残る。Aパートで脱いだら、Bパートはスゴイ話をやるか、それができないならもう一度脱いで違った風に、あるいはより過激に魅せるしかない。Aパートはおっぱいだけにして、全裸はBパートとかね。それもイヤなら、脱ぐのは最初からBパートにしよう。ともかく、裸の使い方、脱ぎどころがわかってないので失格。まぁ第3話みたいに、Cパートで脱ぐのは良いと思うけどね。あとメガネのやついらない。


【マケン姫っ!】 1点
 つまんなすぎわろた


【君と僕。】 1点
 あまりのつまらなさに逆に話題になるアニメ。
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終番レビュー【Steins;Gate】【花咲くいろは】【うさぎドロップ】【ロウきゅーぶ】【NO.6】

【Steins;Gate】 7点
 最も安定して面白かった作品。毎週楽しみにしてました。



【花咲くいろは】 7点
 この作品を語るにあたっては、まず映像の美しさに言及しないわけにはいきません。P.A.Worksはもちろんですが、背景を担当したスタジオ・イースターの花いろ班も大いに評価されるべきでしょう。手描きからデジタルへの移行により、特に時間的制約の厳しいテレビアニメにおいては背景の質が飛躍的に向上していますが、本作品はその最先端にあり、一枚一枚が絵画として飾りたくなるような美しさでした。とてもよく自然に動くキャラクターなども併せて考えて、映像のレベルにおいて現時点ではテレビアニメ史上最高の作品だと言ってもいいのではないでしょうか。

 一方、ストーリーはシリーズ構成の岡田磨里の作家性が強く出たものとなっていました。緒花の感情が溢れ出すシーン、特に第12話の夜雨の中を駆けるシーンや、第24話のグローブジャングルを回すシーンなどは、マリーならではという印象を受けました。


 以下、輪をかけて適当でいい加減な思いつきを書いてみます。『いろは』のストーリーは全体としてみれば、少女が親元を離れて修行して帰ってきたら成長して恋愛ができるようになっていた、っていう超王道ストーリーだと思うのです。例えば『千と千尋の神隠し』であり、例えば『ブレイブ・ストーリー』ですよね。緒花を大人として扱い、その一方で年功序列的であり、わりと性差別的でもあり、厳しい試練を与える、という喜翆荘での経験は、緒花にとって現代版イニシエーションのようなものだと言えるでしょう。そしてイニシエーションを通過したら大人の女性になるわけで、恋愛ができるということですね。それに、“大嫌いだった、ドラマのない街”に戻っても、目標を持って生きていけると。たぶん一番わかりやすい例は『千と千尋』で、それまでの「千尋」という名前を奪われたり、劇中のある場面で初潮を迎えていたりと、イニシエーション的なものをけっこう意図して作っているのだと思うのです。

 こういったものはそのまま表現すると、辛い仕事をしたり苦行に耐えたりと、あまり見たくない作品になってしまいがちです。実際『いろは』も“社畜養成アニメ”とか言われてましたし、そういった点で見るのをやめてしまった人も多いでしょう。ということで、これをもうちょっと楽しい感じに加工することがあるわけですが、そうすると魔法少女ものの王道的ストーリーの骨子というものができてきます。

 『セーラームーン』シリーズをはじめ数々の魔法少女ものを手がけてきた佐藤順一氏は、魔法少女もののセオリーとして「最後には魔法が使えなくなってしまう」ということを言っています(『オトナアニメ』Vol.20)。あるいは、魔法のペットとのお別れも定番です。『ストライクウィッチーズ』では年をとると魔法力が消えてしまうわけですし、『魔女の宅急便』ではキキが成長して(生理が来て)ジジ(黒猫)の声が聞こえなくなるわけですよね。魔法の力を失うこと、魔法のペットと別れることは、主人公が現実世界に還らなければならないことを意味します。日常に始まり、非日常を経て、日常に終わる。魔法を使える時間(非日常)の間には試練があって成長があります。そして、物語の最後には魔法は使えなくなってしまい、昔と何一つ変わらない現実世界に戻ってきてしまうけれど、主人公の内面には確かな成長があって、その強さを得た主人公はこれからもがんばっていける、というわけです。魔法少女ものの王道中の王道と言われた『ジュエルペットてぃんくる☆』にはこのようなストーリーの骨子が実によく表現されていて、涙無しには見れません。魔法少女じゃないけど『ブレイブ・ストーリー』もまさにこんな感じですね。

 ちなみに、この類の作品では、作品の一番最初と一番最後によく似たシーンがあることも多いと思います。例えば『魔法少女リリカルなのは』第一話と最終話の両方に、布団の中のなのはが鳴り出した携帯を取ろうとして、ベッドから落としてしまうシーンがありましたね。2つのシーンはとてもよく似ていて、そのためにその2つの間の決定的な差――なのはの内面の成長――に気付くようになっているのです。

 まぁ、もう『いろは』と全然関係ないところまで話が脱線してしまいましたので、このへんでおしまいとさせていただきます。



【うさぎドロップ】 6点
 これは素晴らしい癒しアニメだなーとかでもこれは子育てファンタジーであって子育てものではないんじゃないかなーけっこう不自然なとこあるしとかいろいろ考えてたのですが原作の結末を知ってしまってもう何もかも吹っ飛んだ感。しかしアニメ版にもしっかり伏線は張られていて、原作の結末を知ったことで、なるほどそういうことか言われてみれば確かにといった感じでアニメ版が整合性の取れた脚本に思えてきたのです。



【TIGER & BUNNY】 5点
 以前に記事書いたので省略。



【ゆるゆり】 4点
 同じく、以前に記事書いたので省略。



【ロウきゅーぶ】 3点
 もっかんとセックスしたくてしたくてしょうがない病



【NO.6】 2点
 最終回が明らかにヤバい。これは何かを物凄く間違えている。最終回だけが、原作既読の僕にも理解不能であり、たった一話だけで作品全体の完成度をぶち壊しています。

 実のところ、第10話までのアニメ版脚本は原作より良かったと思うのです。わかりにくいところはあったかもしれませんが、前半は原作にほぼ忠実であり、後半は出来事の順番を変更したり、無駄な部分を大幅に削ったりして原作後半のテンポの悪さが改善されていました。また、原作では殆どかませ犬に過ぎない沙布をしっかり引き立てたのは、男性視聴者を離さないようにという判断なのでしょうが、間違いなく物語を面白くしていたと思います。第10話までの脚本に文句はありません。

 ところが最終回だけは原作を無視したオリジナルストーリーであり、しかもそれが全く意味不明です。NO.6の各所から謎の黄色い光が飛び出し何かが起こっている、紫苑撃たれて死ぬ、沙布降臨、紫苑生き返る、楊眠いつの間にか死んでる、などの改変はする必然性もないし、というかもはや話がつながっていません。原作通りの結末をやろうとするともう一話分尺が欲しいのは確かですが、だったら第10話までの展開をもう少し急ぐべきでした。それができないならシリーズ構成という役職は何のためにあるのでしょうか。

 作品全体が酷かったのではなく、最終回以外の全ての回は十分良質であるにも関わらず、最終回だけが圧倒的にクソだという点で、NO.6最終回「伝えてくれ、ありのままを」は悪例として後世に語り継がれるべき存在だと考えます。

posted by おりあそ at 19:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月03日

終番レビュー【ゆるゆり】

 完敗。この作品に対する個人的な印象を一言でまとめるとこのような言葉になります。1話見た時点ではクソアニメの中に埋没していくだろうとしか思えなかったのですが…… ギャグの演出、場の空気の表現などうまかったですね。そして、あかり空気ネタは、アニメがコミュニケーションの手段となったこの時代に最適のネタでした。OPとEDの中毒性もあって、アニオタ同士の話題にはもってこいです。とはいえ、本編が毎回面白かったかというとそれほどでもなく、笑えないギャグの方が多かった気がするのですが……。

 この作品のレビューとして、今までの百合作品史をまとめてその上で『ゆるゆり』を考える、みたいなものを考えていたのですが、僕はあんまり詳しくないし調べるのは疲れそうなのでやめました。しかし言いたかったことだけを短めにまとめてみようと思います。

 アニメ『ゆるゆり』のヒットは空気系アニメの系列に位置づけるのがおそらく適切であり、過去の本流の百合アニメの系譜に位置づけるのはかなり違和感があります。アニメ『ゆるゆり』は、“『マリア様がみてる』『Strawberry Panic』『神無月の巫女』『Candy☆Boy』『青い花』”といった純百合作品群よりも、“『らき☆すた』『ひだまりスケッチ』『けいおん!』『ミルキィホームズ』”といった空気系作品群に似通っているし、実際それら空気系アニメの技術の方が、作品づくりに生かされていてヒットの要因にもなっていると思うのです。

 僕の勘では、これまでに空気系の作品群が生み出した(ゆるめの)百合ファン層は、『マリみて』が生み出したそれを人数的に凌駕します。結局のところ、百合の普及という意味において『ゆるゆり』はダメ押しの一手に過ぎず、百合的なものは既に十分にアニメファンの多くに受け入れられていたのではないかと思うのです。そしてそれに貢献したのはおそらく、純百合アニメよりも空気系アニメでした。すなわち純百合作品群は、百合の普及のさせ方としては下手だったのではないかということです。最初から堂々と百合作品として売り出すと、一般の視聴者を身構えさせてしまうし、視聴者が自分でその作品から百合的な関係性を読み取る機会を奪ってしまうということにもなります。実際空気系の作品群では、キャラクター間の親密性に、一般の視聴者が勝手に妄想で百合的なものを次々と付加していました。制作側は良質な素材をつくり、百合的なものを少し匂わせれば十分で、あとは視聴者の想像力に委ねればよかったのです。こういったことはAKB48やKis-My-Ft2といった現代のアイドルグループが意図的に実践しており、また我々はBLという偉大な先例も見ていたのですから、このことに早く気付くべきでした。

 僕は最近、ポップカルチャーにおけるBL・百合の文化には更なる可能性があるのではないかと思っています。セクシュアル・マイノリティーに対する差別に反対したり、同性婚を認めるよう主張したりする運動は世界各地でありますが、多くの場合強い反発も受けます。まるで、『神無月の巫女』『青い花』といったガチ百合アニメが多くの人に気持ち悪がられてしまったように……。しかし、ポップカルチャーの力ならどうでしょうか。既に日本では、BLや百合の文化が広まったことで、昔では考えられないぐらいの数の人々が同性愛に理解を示しているのではないかと思います。もしかしたら、BLや百合が、世界を変えることがあるかもしれない。僕はいつか、そんな日が現実になることを願っています。
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終番レビュー【TIGER&BUNNY】

 ヒーローものというジャンルは、一部においてその内容が昔に比べて今では変化していると感じます。数十年前のアニメや特撮ものには「正義vs悪」という大きな構図を持った作品が沢山あり、「正義」を体現する超越的なヒーローがいました。そういった公共のために戦うヒーローは、当時に比べると今ではとても少なくなってしまったと言えるでしょう。

 その背景としてはまず、正義のヒーローが成立する根拠となる、ヒーローに守られヒーローを応援する人々というものがイメージしにくくなったことが挙げられるでしょう。60年代以降の日本では、親族や地域社会といった中間共同体の解体が進み、人々は共同体に属さない個人として生きるようになりました。また、経済的な成長は消費の多様化・個性化を招き、人々に共通の趣味・娯楽は少なくなりました。誰もが同じテレビ番組を見ていた時代は失われ、日本社会は文化面でも細分化されたと言えます。一億総中流時代は終わりを告げ、経済的な格差も大きくなりました。多様な価値観や立場を持ち利害の一致しない人々に対して等しく「正義」であり、彼らを守り彼らに支持されるような『ウルトラマン』などの超越的ヒーローを描くのは次第に難しくなり、それらの人気は全体としては徐々に小さくなっていきました。

 ヒーローたちの中で奇形的な進化を遂げ、見事に生き残ったのはロボットでした。『鉄腕アトム』で科学に対する明るい希望と絶対的正義を体現していたロボットは、『鉄人28号』では主人公の少年がコントロールするものとなり、『マジンガーZ』においては主人公が乗り込み操縦する、彼にとっての“拡張された身体”となりました。ご存じの通り、この路線はそれ以降『機動戦士ガンダム』や『新世紀エヴァンゲリオン』で継承されていきます。ロボットは大衆の支持のもとに戦う超越的なヒーローから、より人間的で個人的なものに生まれ変わったことによって生き残りを果たしたのです。

 再び社会に目を転じてみましょう。90年代にはバブル経済の崩壊、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件が立て続けに起こり、日本社会全体に巨大な暗雲が立ち込めました。他方、国際的な情勢も人々の意識に大きな影響を与えています。冷戦の終結は巨大な「悪」のイメージを難しくし、9.11以降の対テロ戦争は何が「正義」で何が「悪」なのかをますますわからなくさせていました。
 そしてグローバリゼーションが進行する中、小泉政権は“自己責任”を掲げ新自由主義に基づく政策を推し進めました。企業の終身雇用制は崩壊し、国家・地域社会・親族のいずれもが救ってくれない、個人個人の生き残りを賭けたゲームとしての市場経済のイメージが明確になります。一方、学校という場においても、いじめやスクールカーストをめぐる人間関係が時代と共に複雑化しており、学校生活が生き残りゲームという感覚で捉えられるようになってきました。

 ゼロ年代頃には、このシビアな世界観をフィクションの想像力で表現した作品が相次いでヒットします。『バトル・ロワイアル』『仮面ライダー龍騎』『DEATH NOTE』『コードギアス 反逆のルルーシュ』といった衝撃的な作品群(サヴァイヴ系)の登場です。これらの作品は、生き残りゲームとしての残酷な社会を前提として引き受けており、その上で主人公は戦うこと(ゲームに参加)を選択します。ここではゲームの参加者たちは、誰もが自分こそが「正義」だと言って互いに殺し合うのです。『DEATH NOTE』のニアが言うように、絶対的な正義が成立しないこの世の中では「自分が正しいと思う事を信じ、正義とする」のがサヴァイヴ系の倫理であり、「正義」の反対は「悪」ではなく「また別の正義」になりました。こういった点は、パートナーとタッグを組んでバトル・ロワイアルに臨む『ローゼンメイデン』『Fate/stay night』といった作品も概ね同じであり、これらの作品もサヴァイヴ系に列することができるでしょう。

 しかしゼロ年代のポップカルチャーでは、サヴァイヴ系と反対の選択(ゲームに不参加)をした作品群も大きな盛り上がりを見せていました。『最終兵器彼女』『イリヤの空、UFOの夏』などに代表される、セカイ系と呼ばれるジャンルです。これらの作品の主人公は、弱者を苦しめる残酷な社会を否定し、その行動が社会を破滅させると知りつつもヒロインと共に社会から逃避していきます。セカイ系の主人公の「正義」の根拠はひたすらヒロインの存在にあり、ここでも「正義」は極めて個人的なものになっています。
 サヴァイヴ系とセカイ系は同じ問題に対して正反対の回答を示したと言えますが、最早いずれも公共のための「正義」を描くことはできず、「正義」の根拠はただただ個人にあるのみとなりました。



 さて、このような困難な状況下にあって、『TIGER&BUNNY』(以下タイバニ)はいかなる形でヒーローを描いたのでしょうか。まずタイバニのヒーローは、決して超人的な存在ではなく、様々な思いや悩みを抱えた人間的な存在であり、普段はヒーローであることを隠して一般市民のように暮らしています。ただ、彼らは特殊能力をもった“NEXT”という変異種の人間であり、被差別種であるゆえに逆説的に特殊な力を得ることができるという、従来からヒーローものではよくある図式が使われています。

 タイバニにおいて、古き良き公共のためのヒーローの象徴はレジェンドですが、彼は既に人々の前から姿を消しています。実は彼は昔のようには活躍できなくなってからイカサマをしており、酒に溺れDVに走り、息子によって殺されていたことが明らかになります。このことは、昔ながらの公共のためのヒーローが既に成り立たなくなっていることの比喩として読み取ることができるでしょう。そしてそのレジェンドの息子こそがダークヒーロー“ルナティック”なのです。

 一方、タイバニの現代のヒーローたちはそれぞれに自分の信念に従って戦います。ワイルドタイガーは街中の物を破壊してでも市民を守る、バーナビーは普段は得点稼ぎを優先するがウロボロスへの復讐が第一目標、折紙サイクロンはスポンサーロゴのアピールが何より大事、ルナティックは殺人犯を殺して粛清する、……といったようにです。ここでも「正義」の根拠は個人的なものに過ぎません(中でも、世間の価値観から最も自由であり、“自分の”「正義」を行うことを宣言しているルナティックが最強であるのは注目すべき点です)。しかし、タイバニのヒーローの「正義」は根拠が個人にあるにも関わらず、公共の「正義」として成立しており、しかもそれがあまり嘘くさくなってはいません。これは何故でしょうか?

 注目すべきは、タイバニの舞台はほとんど架空都市シュテルンビルトの市内に限られているという点です。実際、ヒーローたちの管轄はあくまでシュテルンビルト市の司法局にあるようで、都市の外でも同じように活動するわけにはいかないのでしょう。この都市に居る限り、「シュテルンビルトの平和を守ってほしい」という点で人々の思いは一致します。タイバニのヒーローは、その活躍をシュテルンビルト市内に限るという条件をつけたことによって、個人の「正義」の公共化に成功したのです。

 さらに特徴的なことは、タイバニのヒーローは徹底的に資本主義に従属させられているということです。ヒーローたちが警察の代わりに市内の凶悪犯罪に対応した様子は、視聴率至上主義のプロデューサーが仕切る番組“ヒーローTV”によって放映されます。ヒーローには犯人逮捕や市民の保護などの結果に応じて点数が与えられ、ヒーローの点数ランキングが市民の話題となるのです。ところで最近、現実世界でもこれとそっくりな手法で大成功を収めている人たちがいます。そう、資本主義の極地たるアイドルグループ、AKB48です。
 いかに舞台をシュテルンビルト市内に限って「正義」を正当化したとしても、それだけではやはり弱い。というのは、市内レベルで出現する「悪」は大抵あまり強大なものではなく、弱い「悪」と戦う「正義」というだけでは物語として貧弱なのです。ここで逆転の発想が登場します。すなわち、強大な「悪」がいないなら、「正義」同士を競争させればいい。この発想は、ライバルが居ないならメンバー内で競争させればいい、というAKB48の商売戦略とよく類似していると言えるでしょう。タイバニは資本主義を完全に受け入れていながら、サヴァイヴ系と異なり、資本主義の枠組みの中でなお自分本位で終わらない「正義」を描いています。

 タイバニは以上のように面白い工夫を重ね、公共のためのヒーローを描くことが困難な時代に(条件付きではあれど)それを成し遂げました。新時代のヒーローものを考える上で、極めて重要な作品と言えるのではないでしょうか。
posted by おりあそ at 04:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする